斎藤清vs岩崎清信 平成4年全日本選手権
ちょっと懐かしの動画に行ってみまして。平成4年度全日本選手権男子シングルス決勝、斎藤清vs岩崎清信の動画です。
斉藤さんはご存知、全日本卓球選手権男子シングルスで歴代最多の8度優勝を誇る往年の名選手。そしてこれが、日ペン選手が最後にとった天皇杯でもあるわけですね。一度現役を引退してからのカムバック優勝。賭けていたものがあったのでしょう、優勝インタビューは胸に迫るものがあります。
そして岩崎さん。当時の日本では、まだシェークハンドのバック技術が確立していなかったので、「ペンの選手がシェークを持った」的な卓球です。今の日本選手はどこからでも自在にバックドライブを振れるようになっていますが、この頃はハーフボレー系の打ち方がほとんどです。しかし、フォアドライブの威力は凄いものがありますね。
この試合後に斉藤さんが「真の努力をした人が何人いるか」という発言をし、それに奮い立った岩崎さんは、それまで以上の猛練習を積み重ね、「人間の打てる球の速さじゃない」と松下浩二さんに言わしめた超速ドライブを身につけ、4年後の全日本を制することになります。山本恒安・松下浩二・渋谷浩と、3人のワールドクラスカットマンに手も足も出させず、メッタ打ちにボコった平成8年度の全日本は、正に衝撃的でした(残念ながら動画は・・・)。
今とは技術も用具もルールすらも違いますから、まあ若い人はスルーかもしれませんが^^、オールドファンの方は堪能して下さい。
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2013年7月20日
コメント
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コメント (10)
今の人達より、握手が良いですね!
負けた岩崎さんもふてらないで、ガッチリ握手してます。
最近の動画見ててもあんまりいないかと思います!
ついつい現在のルールと比較しながら見てしまいます。1セット目、岩崎選手がスタートダッシュを決めて10-5となった時点で「ああ、これは岩崎選手がこのセットはとるな」と、無意識に11点制の思考をしました。しかし21点制となるとそこからでも十分挽回の余地が残されているあたり、11点制との大きな違いを感じました。
斎藤選手は5セット目まで力を溜めていたように見えます。3,4セット目、岩崎選手が斎藤選手のフォアに深く突っつき、斎藤選手に飛びつかせたのちバックに球を送り詰まらせるという作戦で優位にたちましたが、5セット目では斎藤選手が思い切り良く飛びつき、回り込みを行なって連続ポイントしています。岩崎選手ほどのパワーボールはないものの、このへんの勝負強さが斎藤選手の強みなのかなとおもいます。
この後の斎藤選手の大会出場や引退についてとても気になります。
両者ともグリップがフォア偏重で、斉藤選手なんかバックのとき軽くジャンプして角度出してますね・・・
ともあれ両者ともかなりガッツに溢れていて、若い私でもかなり楽しめます!
このガッツは今の日本選手団に見習ってほしいですね。
当時、斎藤選手は、指導者の立場にもあったわけですが、自らの「背中」を見せて後輩を育てる!姿勢がカッコいいですね。現役復帰したのもそういう思いがあったのかなあと思います。
体罰を加えてでも自分に従わそうとするどこかの学校の先生とは対極にある、崇高な精神を感じます。
流れも面白く(野平さん解説も)予定に反し一時間を一気に観てしまいました。(ゲーム間に、ラバーダイン禁止とか、岩崎さんのコーチ田中利明さんの映像などオヤッと・・)
こちらコメント欄での、今の日本男子トップ選手の中国トップに対しての決定力不足(特に3球目)への回答がまさに岩崎選手のこの強烈なフォアハンドなのか!と感じもしました。サーブはバックのみです。このスタイルは伝説の田中のシェーク版かとも^^。
私のインターハイ観戦の最初が昭和62年札幌の真駒内でした。一つ確かに覚えているのが、シェークでバックハンドを初めて主戦にした宮崎工高の徳村選手です。佐藤利香の高校総体と全日本優勝(史上最年少)が翌63年なのですね。
自分が卓球と離れていた当時、岩崎さん、斉藤さんともフォアで動くフットワークが凄いですね。バックを自在に振る現在のシェーク攻撃型とまた違います。闘争心に加え、両者の筋肉、パワーにも感心します。
38mmは球が速い。岩崎選手のスタイルは、確かにフットワークはペンスタイルですが、この球速ではバックはブロックかハーフボレーする戦法が中心になると思います。
斎藤選手の左ペンはイイサーブですね。バックハンドの技術も上手い。
玄米茶さんの言う通り、岩崎選手は2セット目の終盤からの斎藤のフォア側に長くツッツくレシーブ戦術を取りましたが、斎藤選手がフォア側にドライブで返球出来るようになってから効果が下がりました。
それにしても21ポイント制は1セットの中に何度も流れが来ますね。実力が伯仲していれば21ポイント制の方が面白いかも。
徳村選手懐かしいwww
確か中学くらいの時にスウェーデンかどっかに卓球留学してませんでした?
この頃の斉藤選手はピークを過ぎていたと思いますが、中々自分を超える(脅かす)若手が育たないことに残念な思いをしていたと思います。本気で世界と渡り合おうとしている奴はいるのか!と。
<カッコマン>さんのコメントにあるように当時はフォアで攻めて良い所まで行ってもバックに来ると伸びあがりながらショートをして相手に余裕を与えてしまう事もよくありました。79年に小野さんが優勝して以来斉藤選手が東京大会でベスト8と日本を引っ張ってきた。それ以降、宮崎さんがベスト8、メダルは渋谷、松下のダブルス3位(マンチェスター)まで待たなければいけません。
今の日本を見れば、一番日本が苦しんでいた時期かもしれません。フォアハンドにこだわるか、両ハンドをやるにしても練習法がよく分からない。この頃は、草の根の指導者は勿論、トップの指導者も暗中模索に時期だったと思います。
斎藤選手は豪快なフォアハンドばかり目立ってましたが、一見雑に見える小技も実は非常にレベルが高くそれが呼び水となってフォアハンドが良く決まっていた!という事を付記しておきます。
斎藤清さん、小田和正さんに良く似ていると思うのは私だけでしょうか?7度日本を獲った選手が優勝後、インタビューで泣くことは相当な練習量と勝ちたい思いがあったのでしょう?また、自分を超えれる選手がいなければ世界では通用しないと?この時代を経て、吉田、水谷などの選手が日本を引っ張って今に至ったのだと・・・
感慨深いものがありますね!日本卓球界も!!!
岩崎選手のラケットはダーカーの檜単板だったんですよね。38ミリなのによりスピードを求めたとか・・・とにかくはやいですね。